もっと積極的に動いてほしい・・・
【4】もっと積極的に動いてほしい・・・【中西勇樹】
「チームメンバーは、もっと積極的に活動に参加してほしい」 Kaizen活動のリーダーから、こんな悩みをお聞きすることがあります。 今回のブログでは、リーダーのメンバーへの関り方について、考えていきましょう。 Kaizen活動は、自主的なチーム活動です。製造業などの現場では、普段は上長から指示命令を受けて作業を進めます。 しかし、チームによるKaizen活動は、上長がこまかく指示するわけではなく、チームで自主的に活動します。 そんな中リーダーは、チームで成果を出せるようにメンバーに働きかけていくことが求められます。 リーダーの悩みで多く耳にするのが、このメンバーへの関り方です。 活動開始の時は雰囲気が盛り上がっても、繁忙期に入ると余裕がなくなって活動のペースが鈍ってきます。 メンバーそれぞれに役割分担をしても、メンバーが動いてくれないことがあります。 そんなときにリーダーからこんな言葉が聴かれます。 「会社の活動なんだから、もっと積極的に関わってほしい」 「自分たちの現場をよくしようという活動なんだから、もっと協力してほしい」 リーダーとしては、どのようにメンバーに働きかけていけばよいのでしょうか? |
「性善説」「性悪説」 Kaizen活動に関わらず、リーダーの立場の人は「人と共に、人を通して成果を出す」ことが求められます。 その際「人」をどのような存在として捉えるかによって、アプローチが変わります。 まず思い浮かぶのが「性善説」「性悪説」という考え方です。 「性善説」は、人間はもともと良いものであると考えます。人は生まれながらにして、正しいことをする存在だ、とする価値観です。 「性悪説」は、人間はもともと悪いものであると考えます。人は生まれながらにして、自分の欲望を満たそうとする我儘な存在だ、とする価値観です。 例えば、組織として守るべきルールがあります。 性善説の立場では「人はルールを守ろうとする良き存在である」と考えます。 メンバーは自主的にルールを守ってくれることを前提に考えます。ルールを破ったときのペナルティなどは考えません。結果、ルール違反が増えるかもしれません。 性悪説の立場では「放っておくと、人はルールを破ろうとする」と考えます。 そのため、さらに細かいルールをつくったり、破られた場合はペナルティを課すような仕組みをつくります。しかし、それではとても細かいルールができあがってしまい、煩雑でコストのかかる運用になるかもしれません。 それぞれの立場では、ルールの良好な運用ができないのではないでしょうか。 |
「性弱説」 ここでは、人への理解について「性弱説」という考え方をとってみます。 経営学者の伊丹敬之氏は、これを「人は、性善なれども弱し」という言葉で表現しています。 「人は、善くしようという思いをもっていても、放っておけば自分の欲望に負けてしまう弱い存在である」という見方です。 このような考え方に立つと、人はどのように見えてくるでしょうか? 活動に協力してくれないメンバーは、チーム活動に貢献しようと思いながらも、忙しくなり気持ちに余裕がなくなると、自分の業務で精一杯になってしまうかもしれません。人は誰しも不完全で、弱い存在であるといえるでしょう。 このように性弱説で人を理解することで、得られることがいくつかありそうです。 ここでは、そのひとつについて見てみましょう。 性弱説をとることで、人を客観的に見られるのではないでしょうか。 仮に、人が状況を善くしようと思いながらも、できない状況があったとします。 その時には、その人を責めるのではなく、その状況を客観的に見つめることができ、改善する施策を考えることにつながります。 最初に上げた「積極的に活動してくれないメンバー」にも、うまく活動できない理由や事情があるのかもしれません。 そういうときには、メンバーの話をよく聞くことで、活動できない状況を理解することにつながります。 「人は性善なれども弱し」。 こう考えることで、現実の人間を見つめて客観的な状況を把握して、そのうえで行動に移せそうです。 お互い善くしようという思いを胸に抱きながら、でも不完全な人間同士、助け合って活動を進めていきましょう。 |